足跡

皆様、こんにちは。

この文を読んでいるのは恐らくは私という人間に興味がある人だけだと思います。

やるやると言ってて結局やってなかった「2021の振り返り」を、一念発起してはてなブログに登録して書き記そうと思い至りました。リアルでの方ね。Twitterの1年なんて覚えてないので。

Twitterのスペースでやる、といったことも考えましたが「文字に起こす」ということが重要だと思うので。

人に見せるのに拙い文章なのは本当はよくないんですけど。自分のありのままを出したいので一発走り書きです。推敲もしません。たぶん。論文とかでもないんで。

2022年2月下旬に2021年の振り返りも意味が分からないんですけど、そこは許してください。ぶっちゃけ自分もうろ覚えの個所がいっぱいあるんですけど、それなりにわどという人間に影響があった1年だったと思います。

 

1月。ていうか3月までは特に何もないです。まだこの頃は3回生か。ゼミで勉強会やってたりで勉強まあまあ頑張ってた時期。みんなで頑張って勉強してたし、そこに他のゼミの友だちも加わったりして。ぼくも理科の問題を作問して出題したりしてた。

ただ3月にある春季セミナーの申し込みをサボった。今思うと自分の怠惰さに嫌気がさす。何をやってたんだろう、って。あと、大学推薦の学内選考に挑戦したのもこの時期。

 

4月。4回生になる。大学推薦は京都市で通ったので、大阪から京都に通うのかという不安を抱えながらも、京都市の推薦生として大学推薦生対象のセミナーにも参加した。この頃から本気で「自分は教員採用試験に挑戦するんだ」という気持ちが芽生えてきた頃だったはずですね。ただ、面接練習でバッキバキにメンタルブレイクして挫折しかけた。あれ、全然喋れない。この時期に?3か月後には面接あるのに?こんなので大丈夫?落ちるんじゃない?正直、不安しかなかったです。

ただ、セミナーの先生が喋るコツみたいなのを毎授業ごとに教えてくれて、少しづつ喋れるようにはなっていった。

 

5月。セミナーの先生から「振り返り」の提出を義務付けられて、振り返りを書くようになった。あれ?今週の自分、喋れるようになってんじゃん。このペースならいけるんじゃね?自分、やるじゃん。不安を押し殺して、自己肯定感を高めていきました。大学推薦の課題の小論文も先生方の協力もあってめちゃめちゃいいものが書けた。これはいける。

 

そう、思ってた。過去形です。

 

京都市に、落とされた。

成績が、足りなかったんだって。たぶん。具体的な理由は京都市が公表してくれなかった。

ゼミの先生には「そんな後出しの理由で落としてくるなんて許されへん」とか言ってくれた。最初は正直自分は何も考えたくなかった。ああ、自分は終わったんだって。そう思った。

 

でも、道は続く。京都市に行かなくていいんなら、遠慮なく大阪に挑める。地元で、働きたい。地元の先生をして、子供たちの未来を切り開きたい。その思いで立ち直った。

 

その後は完全に目標を大阪府に切り替えた。絶対見返したる。こっちを見る気がないならこっちを見させてやる。見てくれたところで専ら応えてなんてやらないけど。その思いがあったから、頑張れたと思います。

ゼミの勉強合宿も参加した。コロナ云々もあったので家族と折り合いをつけて通いになったけど、3日間大阪から兵庫県に通った。明石海峡大橋の近く。

 

そうこうしているうちに6月末。大阪府教員採用試験の1次試験。筆記。勉強合宿でも筆記対策はしたし、不安はなかった。

知らない問題がいっぱい出て焦った。でもなんとかなる。そんな気がした。教職教養がなかなかきつかったことが記憶に残っています。

 

1次試験、8割の点数をゲット。無論合格です。2次試験は個人面接。

この先筆記試験はなかったので、とにかく面接練習をした。2次試験の前日にすら面接練習やったなあ。

 

2次試験。最初の質問から対策していない質問が来た。どうしよう、どう答える?頭が真っ白になった。正直、その後のことは覚えていない。終わった後の電車の記憶だけ鮮明にある。落ちたなと思う自分と、なんとかなってると思う自分がせめぎあってました。

 

結果、不合格。なんとかならなかった。

 

実はこの結果を知ったのは電車の駅の構内でした。今でも覚えてます。膝の力が抜けて崩れ落ちた。崩れ落ちるって、ああいうことを言うんですね。

正直死のうかと思ったけど、大学の友人の応援をしてるうちにそんな気持ちは消えていった。なぜでしょうね、自分でも覚えてないんですけど。

 

友だちの応援をして、結果に本人以上に一喜一憂して、そうこうしているうちに9月が過ぎた。気が付けば最後の壁が3か月後に迫る。卒業研究。

正直この頃はいわゆる燃え尽き症候群になってたので、全く研究が手につかない。時間だけが過ぎて、論文は進まない。それでも、なんとか締め切りには間に合わせた。帳尻を合わせた形にはなってしまったけど、研究自体はとても楽しくできた。「自分が気になるテーマ」だったからだと思います。やっぱり、自分が気になることは好奇心がうまく作用してくれますね。

あと、試験の話を後輩にする機会もあったんですが、やっぱり大学としては成功談を話させたい。ゼミの先生からは一応話もあったんですが、落ちた人の話は不要ということで話をすることはなかったです。

 

そして。2021年は終わった。さようなら2021年。はじめまして2022年。

 

これが、わどという人間の2021年の足跡です。正直挫折の1年だなあ。

失敗ばかりで、とても誇れるような話なんてない。でも、栄光の陰には必ず挫折がある。試験だって、受けた人が全員受かるわけじゃない。ていうかそんなの試験とちゃうやん。顔パスやないかい。先ほど成功談を話させたいから自分の話はなくなったということを書きましたが、ぼくとしては正直話したかった。試験なんだもの、美談ばっかりなわけないじゃないか。自分としてはそういったリアルを感じてほしかったし、この話を聞いてより一層後輩たちには頑張ってほしかった。この話を着たくらいで怖気づくくらいなら、そもそも向いてないからやめた方がいい。目指すならそれくらいの覚悟をしろ。そういうことを伝えたかったし、これは伝えるべきであると胸を張って言えます。

失敗だって、大切だ。挫折だって、必要だ。

 

そうこうしているうちに2022年。講師登録の手続きも進めています。順調にいけば4月から教壇に立つ。でもあくまでも立場は「講師」。やることは同じでも、「先生」じゃない。今年も挑戦します。

「わど講師」じゃなく、「わど先生」になるために。そして、この大きな失敗談も、いつか「成功談の前座」として語れるように。

 

どんな出来事も、自分の足跡なのだから。