すずと、ことりと、それからわたし。
皆様、こんにちは。
この場においてはお久しぶりです、の方が正しいかな?
前回の記事、1年前ですって。時は早い。
タイトルについてはなーんも思いつきませんでした。
そんなことはいいんです。一応こういった形で文章には残しておこうかなーと思いまして。物書きか。
いろいろありましたが、わたしはいきてます。
今現在、この記事を書いてるのが2023年5月14日。2023年のゴールデンウィークが終わり、最初の一週間を越えた先の日曜日です。まあ、2023年に入って5か月とちょっと経ち、その間にいろいろあって環境も結構変わったんで書き散らしとこうかなと思います。チラシの裏的感覚。
とりあえず、現状を話すためには、時計の針を幾分か戻す必要がありそうですので、まずはそこから。
時はさかのぼり1月11日。3学期がスタートし、始業式を終えた翌日でした。某小学校に勤務し、学級担任をしていた私は、通勤のために最寄りの駅まで歩いていたところ、路上で嘔吐しました。
(正直今文章で書き起こしてもよくわからない状況ですが、これ以上の説明をする語彙は生憎と身につけていません。学がないことにはどうかご容赦を)
別に前日過度な飲酒をしたとか、暴れ散らかしたとかはしていないと記憶しています。普通に寝て、普通に起きて、普通に学校に向かっていました。ただまあ、さすがに嘔吐した状態で仕事を全うできるとは思えず、その日は欠勤の連絡をしました。一日しっかり休んで、また明日がんばろう、と。病院も行って、体のケアに努めたつもりです。
結果として、三学期中に「明日」は来ませんでした。
翌日以降も吐き気や嘔吐、頭痛に悩まされて休む日々。一体全体どうなっているのかと、自分でもわからなくなりました。その中で、「心療内科」の受診を勧められます。今思えばこの時、本当にいろいろな方に勧められてた気がしますが、その時の私はそこまで深刻に見えていたのでしょうか。
その週の土曜日だったかな、心療内科を受診するために普段めったに使わないJRに乗り、向かったのは福島駅。福島、といっても東北地方の福島県ではなく、大阪市福島区ですね。心療内科って本当にどこいっても予約も一杯で、途方に暮れてたような気もしますが、その割には早く見つけることができたんじゃないかなと思っています。
最初のカウンセリングの時、別にそんなつもりなかったのに大泣きしました。ただただ現状を話してただけなのに。子どものころ筋金入りの泣き虫だった私も、高校に入学したあたりから泣くことは大分と減り、この件より前いつ泣いたかと聞かれても高校大学に在学中に泣いた記憶は見つからないです。それくらい泣いてなかったのですが、本当に大泣きして、その時に自分でも「あぁ、なんか、キツかったんやな」と思いました。
カウンセリングの後診察とか検査?とかを受けて、医師の方から言い渡されたのは「適応障害」。鬱の一歩手前?みたいな状態だったらしいです。それからは自宅療養になり、仕事の休みの扱いも「病休」になり。当初は1ヶ月(2月中旬まで)の休養の予定だったのですが、校長先生の勧めもあり、3月末までということになりました。年度で区切りをつけた方が復帰もしやすい、と。
1月当初は本当に無気力で、家を出るのも専ら義務感からくる散歩くらいでしたが、2月末あたりからは少しずつ活力的なものも戻ってきていたような気がしています。3月には2度旅行も行きました。病休中にすることではないような気もしますが...それでも「そうしよう」と思えるくらいまで回復していたという事実は自分の中ではとても大きかったかなと思います。
3月には市の教育委員会とも来年度の勤務形態について話し合いを行いました。結果、異例ではあるのですが、1年で転勤となり、新たな学校に籍を置くことになりました。以前の学校もとてもいいところで、そのまま働いてもいいと思っていましたが、労働環境の調整ということもあり、新天地へ向かう運びとなりました。
役職も、今年度は「支援学級担任」としてスタート。まあよほどのことがなければ1年間このままやっていきます。もっとも、前年も「よっぽどのことがなければ」と言ってたらよっぽどのことがあったんですが...
1ヶ月、頑張ってみましたが、前の学校とは本当に勝手が全然違って、でも楽しくて。特に今の学校は児童数が少なく、クラス内の仲もすごくよくて。前の学校とは違う暖かさがあるなあ、と。地域の特色によって本当に変わるんだなって今感じています。なんとか、今度こそまず1年頑張りたいです。
それにしても、前のところもそうでしたが、子どもの個性は見てて楽しいですね。本当にいろんな子がいる。地域で変わってくるのもそうだし。
みんなちがって、みんないい。